2009年09月09日
心が折れないで つみあげていくこと
RLレッスン受講。久し振りになるのかな。
少し前から、1人を定員としたRLも始まっている。
だから、会員番号とパスワードで 会員ページに入って 申込等をするとき オプションのRLのページには、かなりの量のレッスン日程が表示される印象がある。
私が申し込みしてるのは、定員は3人で もし1人ならば30分 2人ならば45分 3人ならば60分というシステムのほうだ。
RLに参加される生徒さんたちは、ラリーが好きであったり、ラリーをしたい、しようという意欲があると予想していたし、実際に そうだと感じる。
いままでに参加したときは 定員Maxの日だったので。 コーチとのラリーの時間と 並行して 生徒同士のラリーの時間もあった。
今日は、2人だった。
一人がコーチとラリーしてる間は もう一人は 自分で打っていたりも可能。
あとは、私は、相手の方とコーチとのラリーを映像として 観るということも できたらいいなと思っていた。
自分自身がラリーを 何とかしたいという気持ちはある。
ラリーは テニスの大動脈だという認識がある。
ラリーについて 時々 不安混じりも書いてしまうのだけど、
本音として 変わっていけるかな?というのと、 頑張って進化していきたい というのと両方あるから。
それは ホントにホント。
ミニラリーは、21 を挟んで 2人のほうに、コーチと生徒。 1人のほうに生徒 という形。
1人の人が 2人に振り分ける形。
コーチが振り分け係になってしまえば簡単だけど。
逆にいうと、この場合 振り分け係の人が一番の練習になると感じた。
やっぱり 集中度合いも違うし。
私も すごくドキドキしていた。
失敗しないように という気持ちが強かったかな。
ミニラリーなら 振り分けできて、そして ラリーも続けられて。
これが距離が伸びていくそのどの地点で 混乱きたしてくるのか? うーん どの地点から ダメなのかを 測定したことはないので わかんない。
深い球を送球するのは 難しいと感じてる今日この頃。
ジャンケンして。私が勝って。
最初にコーチとのストレートラリー。
まずミニラリーのあとくらいだから warmingアップも兼ねたのかな?
ゆっくり開始していく。
それにストレートラリーのほうが まだ 続いたかもしれない。今から思えば。
別の生徒さんのラリーを経て。
今度は、フォアサイドのクロスラリー。
コーチと生徒。
鏡になって 同じ強さで返球しようと個人的には思っていたんだけど、それでも 実際にはそうならなくて。
ラリーができない自分がいて。なんでかなあ。 ちゃんと続けたいのに。
にかかってしまったり。 あとは、方向がぶれたときは、それでも かなりの部分までコーチが拾いに行ってくれたりもあり。
その返球がきたときに とっさに 片手フォアになりかけた自分がいて 自分で自分に急停止。
できないこといっぱいあるけど。
それでも、片手フォアはやめたほうがいいというのは いわれ続けていたことだし。
この日 それでも 何度か 片手をだしかけてしまった。そう だしかけてしまってから 急停止していた。
自覚と行動が一致できることばかりではないかもしれないけど。 でも 私は ラリーが できるようになりたい。
テニスの大動脈だと思うし、続いたら楽しいし。
片手を自分で自制したのは、それは ほんの小さな事柄だけども。
手探り状態の気持ちの中で 何か1つでも 自分で出来た事柄として積み重ねたい。
それでも 何度か 片手がでかけて。
なにやってんだ わたしは と思った。
そして 急停止。
そのあと また ラリーは続き。
今度は 強弱のこのコントロールについても。
ホントに丁度いいニュートラルな球になりたいと願いながら。
それが現実には できてなくて。
できてないことに出会った時、 よく まつしまななこさんの記事のことが頭をよぎる。
自分ができたと思うかどうかじゃなくて。
実際にできたかどうかが大切で。
だから、時として 思い通りでなくても そんなはずじゃないということ 続いても。
それでも 逆切れしていては いかんということで。
書くのは簡単なんだけど、時々 「あ゛ー」したくなるけど。 これも 片手フォアと一緒で、気をつけようと決めてる。
テニスは確率のスポーツ ということも聞いたし。
そうなると 深い球の返球が大切ときき。そうしようと思いながら 浅い球になっていて。
コーチが、私のサイドに来て下さり 映像として 深い球を打ってみてくれて。
「これが 深い球」 って。
これ こっちサイドから打ってもらったというのが大きい。
逆に自分自身に球が向かってきたら たぶん イエスに映るだけになってしまう。
なんで深くできないか?
深くしようと 強く念じて 打ったら 久々1本天井もどき。 これは 面が上向いてるときき すぐに修正できた。
フットワークもにぶり スプリットステップも曖昧になってしまったか?
打点がバラバラになってきて。
なんか 「打点が違ってる」って聞き。
球出しレッスンでは 左右にきても成功してるフォアハンドも ライブボールでは うまくいかず。 もっともっと 自己ベストでラリーを続けたいと願う心と裏腹に、 空回りしていく。
何が正しいのか を わかってないのかもしれない。
を超えない球もある という自分の認識と、
ラストに総括として・・・。
「どうして打ち込むの?」 と 問われ。
「イエスに見える」 と答えた私への アドバイスは。
「イエス? イエスってチャンスだとしたら イエスなんてない。 ばっかになってきて、 チャンスじゃなくてピンチ」 と 聞き。
こうやって文章に起こすと 誤解招くと困るので 先に断言しますが。。。
積み重ねという名前のラポールの上でのアドバイスなので。
ありがたいこと、重要なこととして受け止められるし。
結果的にが真実だったりすれば やっぱり 受け入れようとする自分がいるし。
バックサイドのとき、 センターの位置にきたときに 私の球が割合と速い形になり。
その直後 バックサイドの四隅の部分に コーチから 速いエースに該当したようにみえたショットがきて。ボー然と見送った。
「 フットワークとしてすぐに戻れてない 構い直しができていないこと、だから 間に合わないこと。 あと 自分で打ったショットが速いということは、返球もこれだけ速くなってしまうのだということ。 その部分のアンバランスについて。」
理想と現実 自分が戻ってこれる 構え直しができる送球をしなくちゃ 自分で自分の首をしめる。
自分の信念とかなんとか なんつーか、邪魔なプライドならば 捨ててしまえ。 そうしないと、ホントに かわっていけない。
そういう精神論と あと 技術として 深い位置に送球し続けること。 それは 正しい打点を得ないと 実現しない。
できるようになりたい 理想はあり。
その理想から遠い現実はあり。
その遠さ加減が めちゃくちゃ遠い気持ちになりかけてきて。 この辺は 少し話して。
「風景が、午前2時です」というので 通じてしまったことも ある意味 なんか ビックリするくらい ありがたいことであるし。
そうだね 前にも書いたけど ドラえもんの翻訳こんにゃく いらない点は ホントに感謝。
それについても 陸上のハードルに例えたりとかしてくれながらとか
ちゃんと真正面からアドバイスしてくれるスタンスに対して 敬意を表したいですし感謝です。
ラリーが、テニスの大動脈だというのは 自分自身が感じてる解釈で。
私は ワンバンドということについて抵抗があるから、苦手意識もあるから。
人間って そう言う事柄に相対したとき、 ついつい楽なほうにいきかける。
テニスがメンタルなスポーツといわれる所以に 少しだけ ほんの少し実感してきた。
その渦中にいるときは いつまでも このままなのではないか? という気持ちにさいなまされる。
色々な事柄 その渦中にいるときは 出口ないような心境になりがちだ。
大動脈が がっちり? 安定したら、ちょっとやそっとじゃ ぶれない揺れないものと ご対面できるような気もしてきたね。 うん。
なんか 最初からこの悩みかかえてきたような気持ちになっちゃうけど。
いやはや もっと天井とか空振りとか まずは 先に それを解決しなきゃということがあったときには 言われなかったであろう 指摘ということは。
それは 階段をのぼってる途中だという証明証書だよな。
心が折れないで つみあげていくこと。
少し前から、1人を定員としたRLも始まっている。
だから、会員番号とパスワードで 会員ページに入って 申込等をするとき オプションのRLのページには、かなりの量のレッスン日程が表示される印象がある。
私が申し込みしてるのは、定員は3人で もし1人ならば30分 2人ならば45分 3人ならば60分というシステムのほうだ。
RLに参加される生徒さんたちは、ラリーが好きであったり、ラリーをしたい、しようという意欲があると予想していたし、実際に そうだと感じる。
いままでに参加したときは 定員Maxの日だったので。 コーチとのラリーの時間と 並行して 生徒同士のラリーの時間もあった。
今日は、2人だった。
一人がコーチとラリーしてる間は もう一人は 自分で打っていたりも可能。
あとは、私は、相手の方とコーチとのラリーを映像として 観るということも できたらいいなと思っていた。
自分自身がラリーを 何とかしたいという気持ちはある。
ラリーは テニスの大動脈だという認識がある。
ラリーについて 時々 不安混じりも書いてしまうのだけど、
本音として 変わっていけるかな?というのと、 頑張って進化していきたい というのと両方あるから。
それは ホントにホント。
ミニラリーは、21 を挟んで 2人のほうに、コーチと生徒。 1人のほうに生徒 という形。
1人の人が 2人に振り分ける形。
コーチが振り分け係になってしまえば簡単だけど。
逆にいうと、この場合 振り分け係の人が一番の練習になると感じた。
やっぱり 集中度合いも違うし。
私も すごくドキドキしていた。
失敗しないように という気持ちが強かったかな。
ミニラリーなら 振り分けできて、そして ラリーも続けられて。
これが距離が伸びていくそのどの地点で 混乱きたしてくるのか? うーん どの地点から ダメなのかを 測定したことはないので わかんない。
深い球を送球するのは 難しいと感じてる今日この頃。
ジャンケンして。私が勝って。
最初にコーチとのストレートラリー。
まずミニラリーのあとくらいだから warmingアップも兼ねたのかな?
ゆっくり開始していく。
それにストレートラリーのほうが まだ 続いたかもしれない。今から思えば。
別の生徒さんのラリーを経て。
今度は、フォアサイドのクロスラリー。
コーチと生徒。
鏡になって 同じ強さで返球しようと個人的には思っていたんだけど、それでも 実際にはそうならなくて。
ラリーができない自分がいて。なんでかなあ。 ちゃんと続けたいのに。
にかかってしまったり。 あとは、方向がぶれたときは、それでも かなりの部分までコーチが拾いに行ってくれたりもあり。
その返球がきたときに とっさに 片手フォアになりかけた自分がいて 自分で自分に急停止。
できないこといっぱいあるけど。
それでも、片手フォアはやめたほうがいいというのは いわれ続けていたことだし。
この日 それでも 何度か 片手をだしかけてしまった。そう だしかけてしまってから 急停止していた。
自覚と行動が一致できることばかりではないかもしれないけど。 でも 私は ラリーが できるようになりたい。
テニスの大動脈だと思うし、続いたら楽しいし。
片手を自分で自制したのは、それは ほんの小さな事柄だけども。
手探り状態の気持ちの中で 何か1つでも 自分で出来た事柄として積み重ねたい。
それでも 何度か 片手がでかけて。
なにやってんだ わたしは と思った。
そして 急停止。
そのあと また ラリーは続き。
今度は 強弱のこのコントロールについても。
ホントに丁度いいニュートラルな球になりたいと願いながら。
それが現実には できてなくて。
できてないことに出会った時、 よく まつしまななこさんの記事のことが頭をよぎる。
自分ができたと思うかどうかじゃなくて。
実際にできたかどうかが大切で。
だから、時として 思い通りでなくても そんなはずじゃないということ 続いても。
それでも 逆切れしていては いかんということで。
書くのは簡単なんだけど、時々 「あ゛ー」したくなるけど。 これも 片手フォアと一緒で、気をつけようと決めてる。
テニスは確率のスポーツ ということも聞いたし。
そうなると 深い球の返球が大切ときき。そうしようと思いながら 浅い球になっていて。
コーチが、私のサイドに来て下さり 映像として 深い球を打ってみてくれて。
「これが 深い球」 って。
これ こっちサイドから打ってもらったというのが大きい。
逆に自分自身に球が向かってきたら たぶん イエスに映るだけになってしまう。
なんで深くできないか?
深くしようと 強く念じて 打ったら 久々1本天井もどき。 これは 面が上向いてるときき すぐに修正できた。
フットワークもにぶり スプリットステップも曖昧になってしまったか?
打点がバラバラになってきて。
なんか 「打点が違ってる」って聞き。
球出しレッスンでは 左右にきても成功してるフォアハンドも ライブボールでは うまくいかず。 もっともっと 自己ベストでラリーを続けたいと願う心と裏腹に、 空回りしていく。
何が正しいのか を わかってないのかもしれない。
を超えない球もある という自分の認識と、
ラストに総括として・・・。
「どうして打ち込むの?」 と 問われ。
「イエスに見える」 と答えた私への アドバイスは。
「イエス? イエスってチャンスだとしたら イエスなんてない。 ばっかになってきて、 チャンスじゃなくてピンチ」 と 聞き。
こうやって文章に起こすと 誤解招くと困るので 先に断言しますが。。。
積み重ねという名前のラポールの上でのアドバイスなので。
ありがたいこと、重要なこととして受け止められるし。
結果的にが真実だったりすれば やっぱり 受け入れようとする自分がいるし。
バックサイドのとき、 センターの位置にきたときに 私の球が割合と速い形になり。
その直後 バックサイドの四隅の部分に コーチから 速いエースに該当したようにみえたショットがきて。ボー然と見送った。
「 フットワークとしてすぐに戻れてない 構い直しができていないこと、だから 間に合わないこと。 あと 自分で打ったショットが速いということは、返球もこれだけ速くなってしまうのだということ。 その部分のアンバランスについて。」
理想と現実 自分が戻ってこれる 構え直しができる送球をしなくちゃ 自分で自分の首をしめる。
自分の信念とかなんとか なんつーか、邪魔なプライドならば 捨ててしまえ。 そうしないと、ホントに かわっていけない。
そういう精神論と あと 技術として 深い位置に送球し続けること。 それは 正しい打点を得ないと 実現しない。
できるようになりたい 理想はあり。
その理想から遠い現実はあり。
その遠さ加減が めちゃくちゃ遠い気持ちになりかけてきて。 この辺は 少し話して。
「風景が、午前2時です」というので 通じてしまったことも ある意味 なんか ビックリするくらい ありがたいことであるし。
そうだね 前にも書いたけど ドラえもんの翻訳こんにゃく いらない点は ホントに感謝。
それについても 陸上のハードルに例えたりとかしてくれながらとか
ちゃんと真正面からアドバイスしてくれるスタンスに対して 敬意を表したいですし感謝です。
ラリーが、テニスの大動脈だというのは 自分自身が感じてる解釈で。
私は ワンバンドということについて抵抗があるから、苦手意識もあるから。
人間って そう言う事柄に相対したとき、 ついつい楽なほうにいきかける。
テニスがメンタルなスポーツといわれる所以に 少しだけ ほんの少し実感してきた。
その渦中にいるときは いつまでも このままなのではないか? という気持ちにさいなまされる。
色々な事柄 その渦中にいるときは 出口ないような心境になりがちだ。
大動脈が がっちり? 安定したら、ちょっとやそっとじゃ ぶれない揺れないものと ご対面できるような気もしてきたね。 うん。
なんか 最初からこの悩みかかえてきたような気持ちになっちゃうけど。
いやはや もっと天井とか空振りとか まずは 先に それを解決しなきゃということがあったときには 言われなかったであろう 指摘ということは。
それは 階段をのぼってる途中だという証明証書だよな。
心が折れないで つみあげていくこと。