2009年07月06日
徒然なるままに
記事を2つにわける。これは下の段 2つめ。
試合とかだって、テンパッテしまったのでやり直しをお願いしますというのはありえないのと同じようにね
体操が始まる前にクラスメイトさんと、夜中のあウィンブルドン男子シングルス決勝についての話題。 じつは、 ライブで観てしまった。かなりの寝不足
実際に勝負に関する部分において、勝負の分かれ目みたいなところでは、たたみこむように攻めて来て。さすがだなって思う。 ここぞ、というときには間髪いれずみたいな光景を目にして。 うーん すごいな・・ これは・・・ って つぶやいた。王者が王者たる所以だな。
チャレンジというのも、どうしよっかな・・・じゃなくて ここぞ というときには 即座に請求してきていて。 仮にチャレンジが失敗であったとしても、 大切な行為だろうなって感じた。
すごい長い試合で。集中力を切らさなかったこと。そして、1本1本 大切にしていたのが 伝わってきたこと。 ドロップショットには、やっぱり なんか 例え方が変になるかもしれないけど、走るんだね。 シングルスはベースラインに留まるような感覚が自分の中では どうしてもありがち。でも 実際にネットにちゃんと出ていき、ボレーで反応していた場面も多々あった。 また、 サーブがいいことは、なんという自分を支える武器になり得るのだろう。 そして、そんな中ブレイクするのは大変だったと思うけど、ロディックが途中で じっくり しっかりとしたテニスつづけて ブレイク 。 下馬評を覆して ロディック優勝になるかと思った瞬間。 でも そのあともフェデラーは崩れすぎることはなく。 いざとなると、上記にも書いたけど、たたみこむように、ここぞというときを知ってる王者の 気迫だった。すごいな。 次の日の朝は平日だから早いのを知ってるけど、オールしたら体調が3日くらい響くのを知ってるけど、 どうも 画面から目が離せなかった。
そして ラストのインタビュー。テニス万歳、テニス最高って言いたくなるような両者万歳だった。ここでもインタビュー聞きながら やっぱり 王者なんだなと思った。 立派だったと思う。
寝不足と引き換えでも、観戦できてよかったと心から思ってる。
さて ミニラリーから開始。
じつはミニラリーに苦手感覚が生じてる。ミニにならなくて 大きなラリーになってしまうんだもん。なんでかなぁ。 ラケットをフォロースルー 振り切るということ、そのものは 合ってるはずなんだ。 でも そうすると サービスラインよりも後ろに 球が着地してしまう。 では 弾道を調節するのは、私が考えうる手段は ボレーに変更か、ラケットの急停止だ。
ミニラリーは、重要な要素が詰まってると聞いたことある。 自覚を持って取り組もう。そして、悩むならば、とことんまでいこうか。 自分で見つけ出せるか? 解答。 もしも、これが試合中だったらば、どうする? 「助けて、教えて」のパターンでは乗り切れないこともでてくるだろう。 一般クラスに対しては、 コーチ陣も、みんな 懇切丁寧というスタンス。 そして もちろん それもありがたいことであるし。とても感謝。
ただ1つ。本番では、コーチが代わりにラケットもって、コートに立ってくれるわけじゃないのだ。
いま 書きながら 思い起こすし、たぶんこれは、原点だ。 引き出しがたくさんあいていくように・・・。というのが レベルアップの象徴の願う言葉でもあったな。
助け舟をもらうことがいいこととと。 自分でつかみとることがいいことと。 自分自身のテニス技術の発達段階 準備段階 というのによっても違ってくる。 テニスの最初の最初には 決して 言われなかったであろう 技術。 あるいは 現時点では いわれないであろう もっと先の技術。 きっと いっぱい いろいろあるはずだ。
いまミニラリーで書いてるけど、ミニラリーに限らず それこそ すべての技術において。
話を戻す。たとえばミニラリーの距離間。ラケット急停止とか、羽子板ではない方法で。 フォロースルーを意識してることじたいは、たぶん合ってるはずだから。
いっつも でちゃう マイナスな言葉を皆無にするくらいに。自分で見つけ出して這い上がれ。
指導者は必要、間違いなく大きな影響力で必要です。 ただし、 それは リフトとかロープウェイで スルスルとひっぱってもらうため ではなくて。
文章力がないので、うまく表現できないんだけども。 試合中とかに ラケット持って代わりにメンバーチェンジしてくれるわけではないのだということ。
上達という漠然とした名前のものは・・・自分の中に 自分自身のテニスの引き出しを沢山もつということかもしれない。 書きながらそう思う。もうひとつ ついでに書けば、 そうなのだ。引き出しを増やすには、 苦手を苦手のままでは 新しい引出は、増えないのだ。
天井連発とかの時代は、マジで 泣きいれていた。 最も根本的な暗雲は・・・いつまでたっても このままなんじゃないかと思った。 空振りも同じ。 ボレーに回転かけること。前衛も守備をすること・・・ 試合観戦のスコアボードがなんで4じゃなくて6なのか? とか そんなこんなから 歩んできた道のりは このブログには記録してある。
怪我・・。1本の腕がだめなら、2本の腕で。フォアハンドを両手にかえた。両手という選択肢が存在したこと 浮かんだこと 実現してること。 テニスの神様 ありがとう。
けがは・・ それこそ 自分の得意ショットをも もう二度と打つことはないのだろうというところまで 至った。 それは 想像以上に 大きな味方を自ら失ったような気持ちになった。 もがく 形になった。 サーブも1本の腕にてになる。 打てない。治るという保証はない。
努力こそ才能をカバーするものであるという気持ちがある。でも その努力 練習量にセーブをかけないといけないという現実が 想像していた以上に息苦しかった。 右手がダメなんだ。 じゃあ、左手だと思った。
それでも ものにしきれてるわけではなく。 だけど 休むという選択肢は 存在してなかった。 いいか 悪いか 医学的には よくないだろうね。 だけど 自分の心が 休まない と決断していたから。 もう すでに テニス大好きに なっていたから。
そういう事柄が解決してきたらば、次なる課題は、多々出てきて。 ストローク月間のときは、浅い球と深い球 50% 75% とか 自分自身の苦手分野に関する部分も 多々浮き彫りになっている。
こういう 現在進行中の 技術悩み課題 は、 やっぱり いつまでたっても夜で 夜明けはこないんじゃないかという気持ちになりながら。それでも なにか 突破口をみつけるべく 自己課題設定したり。 もがいてみている。
ボレーだって 課題は多々あるよ。 武器にまでもっていきたい 高見をみてるのならば。ホントにマスターすべきことは多々ある。
サーブ。これは 右手で再開できるようになったことは 感謝だ。 いろいろ揺れる いろいろ考えるけど。 やっぱり まず フォルトしないサーブを所持してること。これは 財産になるから。それこそ トスをあげるのは自分だし。
サーブに関しても 十分に ヒントをもらってるのだから。 習熟は自分自身ではからねば。
試合とかだって、テンパッテしまったのでやり直しをお願いしますというのはありえないのと同じようにね
体操が始まる前にクラスメイトさんと、夜中のあウィンブルドン男子シングルス決勝についての話題。 じつは、 ライブで観てしまった。かなりの寝不足
実際に勝負に関する部分において、勝負の分かれ目みたいなところでは、たたみこむように攻めて来て。さすがだなって思う。 ここぞ、というときには間髪いれずみたいな光景を目にして。 うーん すごいな・・ これは・・・ って つぶやいた。王者が王者たる所以だな。
チャレンジというのも、どうしよっかな・・・じゃなくて ここぞ というときには 即座に請求してきていて。 仮にチャレンジが失敗であったとしても、 大切な行為だろうなって感じた。
すごい長い試合で。集中力を切らさなかったこと。そして、1本1本 大切にしていたのが 伝わってきたこと。 ドロップショットには、やっぱり なんか 例え方が変になるかもしれないけど、走るんだね。 シングルスはベースラインに留まるような感覚が自分の中では どうしてもありがち。でも 実際にネットにちゃんと出ていき、ボレーで反応していた場面も多々あった。 また、 サーブがいいことは、なんという自分を支える武器になり得るのだろう。 そして、そんな中ブレイクするのは大変だったと思うけど、ロディックが途中で じっくり しっかりとしたテニスつづけて ブレイク 。 下馬評を覆して ロディック優勝になるかと思った瞬間。 でも そのあともフェデラーは崩れすぎることはなく。 いざとなると、上記にも書いたけど、たたみこむように、ここぞというときを知ってる王者の 気迫だった。すごいな。 次の日の朝は平日だから早いのを知ってるけど、オールしたら体調が3日くらい響くのを知ってるけど、 どうも 画面から目が離せなかった。
そして ラストのインタビュー。テニス万歳、テニス最高って言いたくなるような両者万歳だった。ここでもインタビュー聞きながら やっぱり 王者なんだなと思った。 立派だったと思う。
寝不足と引き換えでも、観戦できてよかったと心から思ってる。
さて ミニラリーから開始。
じつはミニラリーに苦手感覚が生じてる。ミニにならなくて 大きなラリーになってしまうんだもん。なんでかなぁ。 ラケットをフォロースルー 振り切るということ、そのものは 合ってるはずなんだ。 でも そうすると サービスラインよりも後ろに 球が着地してしまう。 では 弾道を調節するのは、私が考えうる手段は ボレーに変更か、ラケットの急停止だ。
ミニラリーは、重要な要素が詰まってると聞いたことある。 自覚を持って取り組もう。そして、悩むならば、とことんまでいこうか。 自分で見つけ出せるか? 解答。 もしも、これが試合中だったらば、どうする? 「助けて、教えて」のパターンでは乗り切れないこともでてくるだろう。 一般クラスに対しては、 コーチ陣も、みんな 懇切丁寧というスタンス。 そして もちろん それもありがたいことであるし。とても感謝。
ただ1つ。本番では、コーチが代わりにラケットもって、コートに立ってくれるわけじゃないのだ。
いま 書きながら 思い起こすし、たぶんこれは、原点だ。 引き出しがたくさんあいていくように・・・。というのが レベルアップの象徴の願う言葉でもあったな。
助け舟をもらうことがいいこととと。 自分でつかみとることがいいことと。 自分自身のテニス技術の発達段階 準備段階 というのによっても違ってくる。 テニスの最初の最初には 決して 言われなかったであろう 技術。 あるいは 現時点では いわれないであろう もっと先の技術。 きっと いっぱい いろいろあるはずだ。
いまミニラリーで書いてるけど、ミニラリーに限らず それこそ すべての技術において。
話を戻す。たとえばミニラリーの距離間。ラケット急停止とか、羽子板ではない方法で。 フォロースルーを意識してることじたいは、たぶん合ってるはずだから。
いっつも でちゃう マイナスな言葉を皆無にするくらいに。自分で見つけ出して這い上がれ。
指導者は必要、間違いなく大きな影響力で必要です。 ただし、 それは リフトとかロープウェイで スルスルとひっぱってもらうため ではなくて。
文章力がないので、うまく表現できないんだけども。 試合中とかに ラケット持って代わりにメンバーチェンジしてくれるわけではないのだということ。
上達という漠然とした名前のものは・・・自分の中に 自分自身のテニスの引き出しを沢山もつということかもしれない。 書きながらそう思う。もうひとつ ついでに書けば、 そうなのだ。引き出しを増やすには、 苦手を苦手のままでは 新しい引出は、増えないのだ。
天井連発とかの時代は、マジで 泣きいれていた。 最も根本的な暗雲は・・・いつまでたっても このままなんじゃないかと思った。 空振りも同じ。 ボレーに回転かけること。前衛も守備をすること・・・ 試合観戦のスコアボードがなんで4じゃなくて6なのか? とか そんなこんなから 歩んできた道のりは このブログには記録してある。
怪我・・。1本の腕がだめなら、2本の腕で。フォアハンドを両手にかえた。両手という選択肢が存在したこと 浮かんだこと 実現してること。 テニスの神様 ありがとう。
けがは・・ それこそ 自分の得意ショットをも もう二度と打つことはないのだろうというところまで 至った。 それは 想像以上に 大きな味方を自ら失ったような気持ちになった。 もがく 形になった。 サーブも1本の腕にてになる。 打てない。治るという保証はない。
努力こそ才能をカバーするものであるという気持ちがある。でも その努力 練習量にセーブをかけないといけないという現実が 想像していた以上に息苦しかった。 右手がダメなんだ。 じゃあ、左手だと思った。
それでも ものにしきれてるわけではなく。 だけど 休むという選択肢は 存在してなかった。 いいか 悪いか 医学的には よくないだろうね。 だけど 自分の心が 休まない と決断していたから。 もう すでに テニス大好きに なっていたから。
そういう事柄が解決してきたらば、次なる課題は、多々出てきて。 ストローク月間のときは、浅い球と深い球 50% 75% とか 自分自身の苦手分野に関する部分も 多々浮き彫りになっている。
こういう 現在進行中の 技術悩み課題 は、 やっぱり いつまでたっても夜で 夜明けはこないんじゃないかという気持ちになりながら。それでも なにか 突破口をみつけるべく 自己課題設定したり。 もがいてみている。
ボレーだって 課題は多々あるよ。 武器にまでもっていきたい 高見をみてるのならば。ホントにマスターすべきことは多々ある。
サーブ。これは 右手で再開できるようになったことは 感謝だ。 いろいろ揺れる いろいろ考えるけど。 やっぱり まず フォルトしないサーブを所持してること。これは 財産になるから。それこそ トスをあげるのは自分だし。
サーブに関しても 十分に ヒントをもらってるのだから。 習熟は自分自身ではからねば。
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