2009年06月18日
JOP大会 準々決勝 観戦応援
朝9時からが、大会の 準々決勝。各自実力のある選手たちです。そしてリーグ戦ではないので、そのとき その瞬間 その時間に力を出し切り しないといけない という名前の トーナメント方式。緊張感の空気と、 静かなる闘志のオーラです。
私の背中側のほう反対サイド側のほうのコートでは、違う種類のダブルスの大会が行われていて。団体競技のように応援レディース部隊も大活躍していますが。 試合中は 自分自身 こちら側のコートしか見ていないので。 どこかのBGM に聴こえてしまったくらいです。 芝生に飛び立つ鳥の囀りの音量がマイクをつけて 鳴いてるのかと思うくらいに響き渡ります。それくらいの張り詰めた空気の空間を感じていました。
1つ誤算は というか まったくの関係ない話になりますが。 応援する場所の芝生が前日夜の雨により濡れていて、立ち見をするのは なんか 気が引けるし(上から見下ろしてるように見えるから)
座るにしては シートでもあれば別だけど。ちょっと・・・って思ったし。 だから すごく変な座り方していたら 足が しびきれた、というのと、 足がつりそうになりというので 。ひぇー かぁぁぁ まずいー ピンチー あぶないー と苦笑いして 立つに立てない 変な人は 私だったことは、ここだけの話にしておこう。
テニスの試合って、特にシングルスとかって音声での応援はあまりしないみたいだから。 まだ応援するという行為そのものも 含めて テニス暦が1年となるんだけど。 だから、時々 おっとしまった タイミング間違えたか? と拍手してしまってから 冷や汗 というのもあるんだ。
前半に1つ 相手の選手がスマッシュを空振りかネットかした瞬間に 「あ゛ー」ってしゃがみこんでしまっていたけど。 なんか 気持ちわかりますー、って 同情した瞬間だったな。
とくに チャンスボールがきたぁぁと思ったときに だと 余計に自分自身に腹立ったんだろうなというか なんつかーか、とにかく「あ゛ー」だったろうな と 共感した。
スマッシュも決めのスマッシュという以外につなぎだったかもしれないし、レシーブが良かったのかもしれないし。 大きなロブがあがったときに、 どんな料理になってくるのかな?って ワクワクしたりもして。 なんか どういえばいいかな。
私の首も、球と同じ弧を描く 体が球とと同時に右に左に前へ後ろへと 動いてしまうくらい。
やっぱり テニスは 観るのもワクワクする。
相手の方とドロップショットが 甘かったのか、いやいや、違うな。
きっと TU魂 発揮の瞬間。 とれる とれる なんでも とれる って いいながら追いかけたことはないだろうけど。 拾うことに成功して。 応援していた私のほうも やったぁ と ガッツポーズしたくなるくらいだったし。
それから 、仕掛ける側のときも、絶妙なところで ドロップショットが決まり。 やっぱり ドロップショットという文字は 「攻撃」と発音するんだなと改めて思った。 苦し紛れじゃなくて、確実に 安定した形に 映っていたから。
ロブが続いたり、ラリーが続いたときに、どこをどう展開がかわってくんだろうか? と思って ワクワク 見つめた。 自分自身がシングルスに挑戦したりもあると。やっぱり そういう側面からも観たくなってる。
私は 相手の力を利用するというのが、あまり よく 理解してないような気がするから。 だからこそ なんか とても 強く 強く見つめてしまっていた。 やっぱり 応援してる選手が ポイントとると とても嬉しい気持ちになる。
テニスは、メンタルのスポーツだと言われているから。それでも一発だけで決まってしまうのではなくて 1点1点の それこそ 1球1球の積み重ねで決まっていく。 点数の数え方は 昔は わからなくて いまが いったい 何点なのか? いや 初めて観戦応援したときには スコアボードはなんで6なのか? 0*15*30*40 なのじゃないのか? とか
だから ④なのじゃないのか? とか思っていたから。
人間にとっての経験値の積み重ねというのは、 テニスの神様も、誰にでも平等にをくれるのかもしれない。
今日 私は 最終ゲームのときには、0*0 0*15 15*15 という風に 勝利までのカウントダウンとして。 心の中で審判係をしながら 応援 していた。
さっきも 書いたけど、なんどか 相手のドロップショットとか 浅い球を 走って 拾いにいって 追いついた。 私自身がテニス技術を語るなんて めっそうもないというか 語れないけども。ただ、追いつこうと思わなければ追いつかなかった球。というのだけは 感じたし。 たぶん あの瞬間に、 皆、「行けー、とれる、 」と心で叫んで とれる、とれる なんでも とれる やればできると いう 注釈もついただろうなって 感じる。
朝練習の風景の再現のようにすら感じた瞬間だったから。
叩き込みショットでも1点。 走りこみセーフ ガッツあふるる、のポイントだって1点。 その積み重ねがあって その両方の安定があって ゆるがないということは。
テニスの王子様の漫画が繰り出す スーパーショットというのではないんだけど。私は そういうショットは それは それで すごいけど、でも
私は やっぱり こうやって1点1点積み重ねていくテニスって 憧れるし かっこいい。
ふっと 気づくと 必ずスプリットステップをしながら 1歩踏み出していることや。 ふっと気づくと 必ず センターに戻っていることや。 そういう「基本という名前の土台」が がっちり ゆるがないであったんだなって 。
ラリーが10回くらい続いたときには、 ほんとに ロブのような球には ロブのような球で返し。強めにきた球には 強めに返していたように映って。 そうやって テニスは鏡という風に わたしはレッスン中にきいたことを思い出したり。
たぶんきっと 次の球をどうしようか? じゃなくて、 次の球の その次がこうきて そして その次の球をこう打って という そういう未来予想図のような地図 あるのかなって 一般生徒が感じるくらいということは・・・・
対戦相手の選手は 相当に苦しい戦いだったろうな。
マッチポイントになり、最後 勝利を手にした瞬間に それまでの緊張から 解放となり、みせた 笑顔がチャーミングで 素敵です。
おめでとうございます
私の背中側のほう反対サイド側のほうのコートでは、違う種類のダブルスの大会が行われていて。団体競技のように応援レディース部隊も大活躍していますが。 試合中は 自分自身 こちら側のコートしか見ていないので。 どこかのBGM に聴こえてしまったくらいです。 芝生に飛び立つ鳥の囀りの音量がマイクをつけて 鳴いてるのかと思うくらいに響き渡ります。それくらいの張り詰めた空気の空間を感じていました。
1つ誤算は というか まったくの関係ない話になりますが。 応援する場所の芝生が前日夜の雨により濡れていて、立ち見をするのは なんか 気が引けるし(上から見下ろしてるように見えるから)
座るにしては シートでもあれば別だけど。ちょっと・・・って思ったし。 だから すごく変な座り方していたら 足が しびきれた、というのと、 足がつりそうになりというので 。ひぇー かぁぁぁ まずいー ピンチー あぶないー と苦笑いして 立つに立てない 変な人は 私だったことは、ここだけの話にしておこう。
テニスの試合って、特にシングルスとかって音声での応援はあまりしないみたいだから。 まだ応援するという行為そのものも 含めて テニス暦が1年となるんだけど。 だから、時々 おっとしまった タイミング間違えたか? と拍手してしまってから 冷や汗 というのもあるんだ。
前半に1つ 相手の選手がスマッシュを空振りかネットかした瞬間に 「あ゛ー」ってしゃがみこんでしまっていたけど。 なんか 気持ちわかりますー、って 同情した瞬間だったな。
とくに チャンスボールがきたぁぁと思ったときに だと 余計に自分自身に腹立ったんだろうなというか なんつかーか、とにかく「あ゛ー」だったろうな と 共感した。
スマッシュも決めのスマッシュという以外につなぎだったかもしれないし、レシーブが良かったのかもしれないし。 大きなロブがあがったときに、 どんな料理になってくるのかな?って ワクワクしたりもして。 なんか どういえばいいかな。
私の首も、球と同じ弧を描く 体が球とと同時に右に左に前へ後ろへと 動いてしまうくらい。
やっぱり テニスは 観るのもワクワクする。
相手の方とドロップショットが 甘かったのか、いやいや、違うな。
きっと TU魂 発揮の瞬間。 とれる とれる なんでも とれる って いいながら追いかけたことはないだろうけど。 拾うことに成功して。 応援していた私のほうも やったぁ と ガッツポーズしたくなるくらいだったし。
それから 、仕掛ける側のときも、絶妙なところで ドロップショットが決まり。 やっぱり ドロップショットという文字は 「攻撃」と発音するんだなと改めて思った。 苦し紛れじゃなくて、確実に 安定した形に 映っていたから。
ロブが続いたり、ラリーが続いたときに、どこをどう展開がかわってくんだろうか? と思って ワクワク 見つめた。 自分自身がシングルスに挑戦したりもあると。やっぱり そういう側面からも観たくなってる。
私は 相手の力を利用するというのが、あまり よく 理解してないような気がするから。 だからこそ なんか とても 強く 強く見つめてしまっていた。 やっぱり 応援してる選手が ポイントとると とても嬉しい気持ちになる。
テニスは、メンタルのスポーツだと言われているから。それでも一発だけで決まってしまうのではなくて 1点1点の それこそ 1球1球の積み重ねで決まっていく。 点数の数え方は 昔は わからなくて いまが いったい 何点なのか? いや 初めて観戦応援したときには スコアボードはなんで6なのか? 0*15*30*40 なのじゃないのか? とか
だから ④なのじゃないのか? とか思っていたから。
人間にとっての経験値の積み重ねというのは、 テニスの神様も、誰にでも平等にをくれるのかもしれない。
今日 私は 最終ゲームのときには、0*0 0*15 15*15 という風に 勝利までのカウントダウンとして。 心の中で審判係をしながら 応援 していた。
さっきも 書いたけど、なんどか 相手のドロップショットとか 浅い球を 走って 拾いにいって 追いついた。 私自身がテニス技術を語るなんて めっそうもないというか 語れないけども。ただ、追いつこうと思わなければ追いつかなかった球。というのだけは 感じたし。 たぶん あの瞬間に、 皆、「行けー、とれる、 」と心で叫んで とれる、とれる なんでも とれる やればできると いう 注釈もついただろうなって 感じる。
朝練習の風景の再現のようにすら感じた瞬間だったから。
叩き込みショットでも1点。 走りこみセーフ ガッツあふるる、のポイントだって1点。 その積み重ねがあって その両方の安定があって ゆるがないということは。
テニスの王子様の漫画が繰り出す スーパーショットというのではないんだけど。私は そういうショットは それは それで すごいけど、でも
私は やっぱり こうやって1点1点積み重ねていくテニスって 憧れるし かっこいい。
ふっと 気づくと 必ずスプリットステップをしながら 1歩踏み出していることや。 ふっと気づくと 必ず センターに戻っていることや。 そういう「基本という名前の土台」が がっちり ゆるがないであったんだなって 。
ラリーが10回くらい続いたときには、 ほんとに ロブのような球には ロブのような球で返し。強めにきた球には 強めに返していたように映って。 そうやって テニスは鏡という風に わたしはレッスン中にきいたことを思い出したり。
たぶんきっと 次の球をどうしようか? じゃなくて、 次の球の その次がこうきて そして その次の球をこう打って という そういう未来予想図のような地図 あるのかなって 一般生徒が感じるくらいということは・・・・
対戦相手の選手は 相当に苦しい戦いだったろうな。
マッチポイントになり、最後 勝利を手にした瞬間に それまでの緊張から 解放となり、みせた 笑顔がチャーミングで 素敵です。
おめでとうございます
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