2009年06月17日
がんばれー。 がんばれー。 がんばれー。の心の中の音声を
水曜日 2限目 初級クラス。
本日は、体験の方も含めて 9人。
私の中で初対面の方は 体験の方お一人で。そのお一人も テニス仲間が紹介した形であり すぐに 仲間の仲間は仲間 に かわり。振替の方も 私の中では別の曜日の友人であり、 他の全ての方々が スクールで知り合ったテニス仲間という環境下で。レッスン前の体操場とかでも、この仲間たちとの 明るい話題と笑い声で ハッピー ガソリンも満タンになってのスタート。
テニススクールで過ごしてきている時間経過において、テニスの技術と 同時に、 とても とても大切な 宝だと思うのだ。
テニスは団体競技ではなく個人競技であるけれども。 仲間がいることは とても支えになるし、 やっぱり 間違いなく大切だ。 ありがとう。
本日も ミニラリーから開始。 自分の中でちゃんとミニラリーの時に取り組む課題をもってのぞんだほうがいいと いつも思うんだけど。 どうも 曖昧になりがちだ。
手出しでのストローク開始。指示とかがあったわけではないけれど。 自分で自分のマックスと そうでない形とを 認識というか、ちゃんとコントロールしたくて 順番がまわってくるたびに、 50と75と100を 自分で打ち分ける。打ち分けにはならなかったけども。でも それでも どこかで 何かしながら なんとか マスターの方向へ いけるんじゃないか いこう、がんばろう って 感じる。
100とかやると なんか すごい変な方向とか 久しぶりに天井とかもあったけど。 自分で自分の気持ちを落とさないように 踏ん張るんじゃー。 踏ん張らなくても 落とさないでいける人も多いかもしれない。 そして いいなって思うけど、でも しょうがないよ。
あきらめるんじゃなくて。 落としきらないコツを テニスのことは テニスの中で見つけていこうか。 なんか カメさんだな やっぱ。
順番待ちとか 時々 並んでる順番で クラスメイトさんたちに、声かけするのは、 ナイス とかもあるけど。
感覚というのは人それぞれなんだけども。それでも たとえば 「コーン(目標物)とボール どっち見たほうがいいかなぁ? どっちみてる?」とか 聞いてみたりして。 「ギリギリまで ボールだよ」とかいわれると なるほどって感じたり。
話が前後するけども。 コーチからは、全体への総括というか 話の中で、 テニスのラリーは 会話のキャッチボールというのがあり。 一方通行にならないように というのがあり。
いま ラリーが苦手な私は やっぱり そういう部分が弱いかもしれないね。 テニスはメンタルなスポーツというのは こういう部分も多々あるのかもしれない。
人間誰だって 良くありたい 得意と長所 いっぱいでありたいけど。 ほめられまくる自分でありたいというのは 誰の心の中にもあるだろうけど。
しかし 苦手分野が つきつけられている 心境のときに。 「そんなこといっても 私は、私さ」 とかで過ごせば。 きっといつまでも 「私は私」だけなんだろうな。
だったら 新しい自分へ いま なんか 苦しかったとしても 踏ん張ろうよーー。 と 自分で自分に応援歌。、
起きた 出来事そのものには 性格がなくて、物事には性格がついてる わけじゃなくて 性格という色分けをしてるのは 自分の心。自分の心が選択してることだよね?
なんだか いつも 比ゆばかりになっちゃうな。すみません。
今日は9人。そのなかで 唯一 プレゼントというか、
「ストロークに関することで、1人・・2分」というのがあった。 それは 久しぶりの 個別指導の 時間だった。
2分か。課題は1つ それも 明確に しないとなと思いながら ラリーをまわる。
ちなみにサーブ&リターンで ストレートラリーの位置で サーブ。
はい、カミングアウト 私は サーブは ストレートが打ちやすいです。 まさに バレーボール方式サーブになってしまいますが。 実際の試合では ありえない方式ですが。3人一組で まわる。 私たちのグループが終わり。 そして、 2分がやってきた。
わたしは「ライジングお願いします」にした。 クラス全体の課題を申し入れしたなら変な課題になってしまうが。 自分時間の2分だ。 触りだけでも とおもって。
ライジングというのが 「相手の力を利用する」ショットだと 知ってから。 どうしても 気になるショットだ。 技術の要素として難しいというのも 聞いてるし 実際に そうなんだろう。
相手の力を利用する といのうが わからない自分自身がいて、それが いまのままでいいと思ってるわけじゃなくて。
その頂上が1つでも 方法はいろいろあっていいんじゃないか、つーか、 なんとか 自分にあう方法は ないか? とかは やっぱり いつも頭にある。
なんか テニスフリークと化しているのは 本当だから。
もしも 難しいから やめたほうがいい と却下されたらば。 ボレストのストローク係のコツ の課題を 第二希望に準備していた。
でも 予想に反して 却下されることなく2分 挑戦。 以前に1回挑戦したときよりは 進化したんだじゃないかな。
「初歩の初歩としては いいんじゃないか 」ということだった。 ただし、 球出しとかも それようにだしてもらって・・だったから。まだまだ実際の球では 無理だろうけども。 却下されなかったことがありがたいというか 正直 ビックリしていた。
できることよりも できないことのほうが 目を奪いがちだけど。 できるようになったこと 自分の中で 1つ1つ 承認していこう。 自己承認って そういうことの 積み重ねからかもしれないから。
話が前後するが。 本日は 3週目で、サーブ&リターンがあった。 リターンは コーチがサーブ係として 生徒は2列横隊にて。 順クロスと逆クロス。 どっちがラケット面 打点が前になるか? サイドによって違うね。でも 正解できた。理論も一致したこととして。 がんばろう。
ただ スィングに関しては 今日は 振り切るということ。 そのときに みんなのまえじゃなくて 後で聞きにいこうか迷うところだったけど。 皆の前で。 「これは 初級だから いま スィングするのか? 上級とかだと まるでボレーのようにするのか? 」という 意味を聞いた。
この 入門 初級バージョンなのか? それとも 上級でも同じなのか? という その確認作業は 自分の中では 自分の中にとりいれたい事柄のときに確認とりたいのです、、、という 真剣度合の 証でもあるんだけど。人が聞いたら ビックリするかしもれないな。
ラストのゲーム形式。コーチの球出しからスタートする形式。私がまわってきたのは、球出しを受けないほうのアドサイドだった。前衛になったときにボレーが浮いてしまったのが残念。いや浮いただけじゃすまなくてアウトボールと化してしまったな。やっぱり自身のショットというのは印象に残る。逆に言えば、 フィードバックするときに このショットを失敗したな とか そういうふうになっているな。 フィードバックの仕方だって 段階によって できるやり方に違い出るだろうと思う。
フィードバックできる人ほど やっぱテニス強いんじゃないかな。 周りの景色含めて見えているということだから。
球出しレッスンの話に戻るけど、順番待ちの瞬間に 「球みてる? コーンみてる?」みたいな一言きいたりしたときに。 ちゃんと こうこうこうみてる みたく とっさに言ってくれた友人もいる。やっぱり 見えているのだと思う。フィードバックは 自分自身で認識しいてる以上のことは、できないから。
サーブ練習だとか いろいろ コーチが見本をやってくれてるときに コーチから皆に 「よく見ていてください」という注釈がつくときがある。このときに 手をみるのか? 足をみるのか? というのを 認識してる人と そうでない人とでは やっぱり違ってくる。
試合の観戦の仕方だってそうなんだろうね。
今日は、帰りがけに友人たちと一緒に クラブハウスのテラスへ。 やっぱり皆 テニスに非常に真剣だ。 自分自身だけの価値観の中に入り込んでしまうよりも、こうやって話 ・・もっと踏み込んでるディスカッションできる機会があることは、非常に幸運だと思う。 今日の記事の最初のほうにも書いたけど、テニスは団体競技ではないけど、 やっぱり もしも独学で1人だったらば、ここまでを考えてなかったり とかにく かなり違っていただろうなと思う。
追伸。
いま アウトコートでは公式大会が行われている。 観戦と応援へ。 テニスのルールもわからなかった頃よりも ずいぶん 点数も数えやすくなったりしたけど。それでも 自分が拍手するときは 一瞬 今のタイミングの拍手は 間違っていないか?どきどきして まわりを見渡す。
セルフジャッジ って テニスを始めるまで自分の中になかったので。 なんか ときどき 非常に戸惑う。 審判がいて、その審判に絶対服従とかなら もっとも あり得た世界だったけど。 セルフで審判して それも 対戦相手が審判という仕組みは いいときもあれば そうでないときもあるんだろうな と 想像してきたけど。
今日は 後半に 観客席というか 立ち見観客たちが 少しざわめくシーンがあった。私は真横とかの隣とかに人がいなかったから、音声にはしてないけど。 心の中の叫びは 同じだった瞬間。 「なんで? 入ってるのに」「うそ またぁ? また アウトに?」 観戦してる側がそう思ってしまうくらいなのだから。
選手はよく平静に踏みとどまって 心折れずに そして ある意味貫禄すら感じる かっこよさで展開していて。 心の中で嬉しくなった。
さすがだ、さすがだ、 さすが 「できる、できる、なんでもできる、やればできる」 スピリットの持ち主さんだ
今日ではないんだけど、私は、彼女に このやればできるの音程 どういう言い方かみたく 教えてと頼んで。 やさしく教えてもらって。 そのときに聞いた アドバイス。マイナスとプラスの あのお話というか やっぱ大きな方だと思う。 いつも 気軽に素敵な笑顔で話しかけてくれたり 挨拶してくださったりするハートの持ち主は、 やっぱり 器も大きかった
試合会場にでは、テクニックを追いかけてるということよりも。 なにか、なにかを 感じ取ったりするアンテナ受信 。
基本的な考え方として・・・。やっぱり 勝ってるから応援するというのではなく、 それこそ 受信は 発信していてくれなきゃ できないわけで。 だから 気迫という名前のオーラ 心折れないスタンスであったり、 できるできる何でもできるの精神であったり。 一般生徒を ひきつけるだけの ひっぱりだして留まらせるだけの エナジーがあるから。
帰りがけに 「応援ありがとうございました 」って言ってくださったけど。
そのとき 別件で。・・わたしは 結構衝撃的な事柄があり まともに返答できずに ほんとに ごめんなさい・・。
ほんとに こちらこそ エナジー ありがとうこざいます。一般人(一般生徒)を ひきつけるだけの魅力と 心の器があらわれてる部分とか。 かっこいいですー (女性にかっこいいというのが あってるかどうか わからないけど)
がんばれー。 がんばれー。 がんばれー。の心の中の音声を 「」に変換して。 心からエールをおくります。
ふぁいっ
本日は、体験の方も含めて 9人。
私の中で初対面の方は 体験の方お一人で。そのお一人も テニス仲間が紹介した形であり すぐに 仲間の仲間は仲間 に かわり。振替の方も 私の中では別の曜日の友人であり、 他の全ての方々が スクールで知り合ったテニス仲間という環境下で。レッスン前の体操場とかでも、この仲間たちとの 明るい話題と笑い声で ハッピー ガソリンも満タンになってのスタート。
テニススクールで過ごしてきている時間経過において、テニスの技術と 同時に、 とても とても大切な 宝だと思うのだ。
テニスは団体競技ではなく個人競技であるけれども。 仲間がいることは とても支えになるし、 やっぱり 間違いなく大切だ。 ありがとう。
本日も ミニラリーから開始。 自分の中でちゃんとミニラリーの時に取り組む課題をもってのぞんだほうがいいと いつも思うんだけど。 どうも 曖昧になりがちだ。
手出しでのストローク開始。指示とかがあったわけではないけれど。 自分で自分のマックスと そうでない形とを 認識というか、ちゃんとコントロールしたくて 順番がまわってくるたびに、 50と75と100を 自分で打ち分ける。打ち分けにはならなかったけども。でも それでも どこかで 何かしながら なんとか マスターの方向へ いけるんじゃないか いこう、がんばろう って 感じる。
100とかやると なんか すごい変な方向とか 久しぶりに天井とかもあったけど。 自分で自分の気持ちを落とさないように 踏ん張るんじゃー。 踏ん張らなくても 落とさないでいける人も多いかもしれない。 そして いいなって思うけど、でも しょうがないよ。
あきらめるんじゃなくて。 落としきらないコツを テニスのことは テニスの中で見つけていこうか。 なんか カメさんだな やっぱ。
順番待ちとか 時々 並んでる順番で クラスメイトさんたちに、声かけするのは、 ナイス とかもあるけど。
感覚というのは人それぞれなんだけども。それでも たとえば 「コーン(目標物)とボール どっち見たほうがいいかなぁ? どっちみてる?」とか 聞いてみたりして。 「ギリギリまで ボールだよ」とかいわれると なるほどって感じたり。
話が前後するけども。 コーチからは、全体への総括というか 話の中で、 テニスのラリーは 会話のキャッチボールというのがあり。 一方通行にならないように というのがあり。
いま ラリーが苦手な私は やっぱり そういう部分が弱いかもしれないね。 テニスはメンタルなスポーツというのは こういう部分も多々あるのかもしれない。
人間誰だって 良くありたい 得意と長所 いっぱいでありたいけど。 ほめられまくる自分でありたいというのは 誰の心の中にもあるだろうけど。
しかし 苦手分野が つきつけられている 心境のときに。 「そんなこといっても 私は、私さ」 とかで過ごせば。 きっといつまでも 「私は私」だけなんだろうな。
だったら 新しい自分へ いま なんか 苦しかったとしても 踏ん張ろうよーー。 と 自分で自分に応援歌。、
起きた 出来事そのものには 性格がなくて、物事には性格がついてる わけじゃなくて 性格という色分けをしてるのは 自分の心。自分の心が選択してることだよね?
なんだか いつも 比ゆばかりになっちゃうな。すみません。
今日は9人。そのなかで 唯一 プレゼントというか、
「ストロークに関することで、1人・・2分」というのがあった。 それは 久しぶりの 個別指導の 時間だった。
2分か。課題は1つ それも 明確に しないとなと思いながら ラリーをまわる。
ちなみにサーブ&リターンで ストレートラリーの位置で サーブ。
はい、カミングアウト 私は サーブは ストレートが打ちやすいです。 まさに バレーボール方式サーブになってしまいますが。 実際の試合では ありえない方式ですが。3人一組で まわる。 私たちのグループが終わり。 そして、 2分がやってきた。
わたしは「ライジングお願いします」にした。 クラス全体の課題を申し入れしたなら変な課題になってしまうが。 自分時間の2分だ。 触りだけでも とおもって。
ライジングというのが 「相手の力を利用する」ショットだと 知ってから。 どうしても 気になるショットだ。 技術の要素として難しいというのも 聞いてるし 実際に そうなんだろう。
相手の力を利用する といのうが わからない自分自身がいて、それが いまのままでいいと思ってるわけじゃなくて。
その頂上が1つでも 方法はいろいろあっていいんじゃないか、つーか、 なんとか 自分にあう方法は ないか? とかは やっぱり いつも頭にある。
なんか テニスフリークと化しているのは 本当だから。
もしも 難しいから やめたほうがいい と却下されたらば。 ボレストのストローク係のコツ の課題を 第二希望に準備していた。
でも 予想に反して 却下されることなく2分 挑戦。 以前に1回挑戦したときよりは 進化したんだじゃないかな。
「初歩の初歩としては いいんじゃないか 」ということだった。 ただし、 球出しとかも それようにだしてもらって・・だったから。まだまだ実際の球では 無理だろうけども。 却下されなかったことがありがたいというか 正直 ビックリしていた。
できることよりも できないことのほうが 目を奪いがちだけど。 できるようになったこと 自分の中で 1つ1つ 承認していこう。 自己承認って そういうことの 積み重ねからかもしれないから。
話が前後するが。 本日は 3週目で、サーブ&リターンがあった。 リターンは コーチがサーブ係として 生徒は2列横隊にて。 順クロスと逆クロス。 どっちがラケット面 打点が前になるか? サイドによって違うね。でも 正解できた。理論も一致したこととして。 がんばろう。
ただ スィングに関しては 今日は 振り切るということ。 そのときに みんなのまえじゃなくて 後で聞きにいこうか迷うところだったけど。 皆の前で。 「これは 初級だから いま スィングするのか? 上級とかだと まるでボレーのようにするのか? 」という 意味を聞いた。
この 入門 初級バージョンなのか? それとも 上級でも同じなのか? という その確認作業は 自分の中では 自分の中にとりいれたい事柄のときに確認とりたいのです、、、という 真剣度合の 証でもあるんだけど。人が聞いたら ビックリするかしもれないな。
ラストのゲーム形式。コーチの球出しからスタートする形式。私がまわってきたのは、球出しを受けないほうのアドサイドだった。前衛になったときにボレーが浮いてしまったのが残念。いや浮いただけじゃすまなくてアウトボールと化してしまったな。やっぱり自身のショットというのは印象に残る。逆に言えば、 フィードバックするときに このショットを失敗したな とか そういうふうになっているな。 フィードバックの仕方だって 段階によって できるやり方に違い出るだろうと思う。
フィードバックできる人ほど やっぱテニス強いんじゃないかな。 周りの景色含めて見えているということだから。
球出しレッスンの話に戻るけど、順番待ちの瞬間に 「球みてる? コーンみてる?」みたいな一言きいたりしたときに。 ちゃんと こうこうこうみてる みたく とっさに言ってくれた友人もいる。やっぱり 見えているのだと思う。フィードバックは 自分自身で認識しいてる以上のことは、できないから。
サーブ練習だとか いろいろ コーチが見本をやってくれてるときに コーチから皆に 「よく見ていてください」という注釈がつくときがある。このときに 手をみるのか? 足をみるのか? というのを 認識してる人と そうでない人とでは やっぱり違ってくる。
試合の観戦の仕方だってそうなんだろうね。
今日は、帰りがけに友人たちと一緒に クラブハウスのテラスへ。 やっぱり皆 テニスに非常に真剣だ。 自分自身だけの価値観の中に入り込んでしまうよりも、こうやって話 ・・もっと踏み込んでるディスカッションできる機会があることは、非常に幸運だと思う。 今日の記事の最初のほうにも書いたけど、テニスは団体競技ではないけど、 やっぱり もしも独学で1人だったらば、ここまでを考えてなかったり とかにく かなり違っていただろうなと思う。
追伸。
いま アウトコートでは公式大会が行われている。 観戦と応援へ。 テニスのルールもわからなかった頃よりも ずいぶん 点数も数えやすくなったりしたけど。それでも 自分が拍手するときは 一瞬 今のタイミングの拍手は 間違っていないか?どきどきして まわりを見渡す。
セルフジャッジ って テニスを始めるまで自分の中になかったので。 なんか ときどき 非常に戸惑う。 審判がいて、その審判に絶対服従とかなら もっとも あり得た世界だったけど。 セルフで審判して それも 対戦相手が審判という仕組みは いいときもあれば そうでないときもあるんだろうな と 想像してきたけど。
今日は 後半に 観客席というか 立ち見観客たちが 少しざわめくシーンがあった。私は真横とかの隣とかに人がいなかったから、音声にはしてないけど。 心の中の叫びは 同じだった瞬間。 「なんで? 入ってるのに」「うそ またぁ? また アウトに?」 観戦してる側がそう思ってしまうくらいなのだから。
選手はよく平静に踏みとどまって 心折れずに そして ある意味貫禄すら感じる かっこよさで展開していて。 心の中で嬉しくなった。
さすがだ、さすがだ、 さすが 「できる、できる、なんでもできる、やればできる」 スピリットの持ち主さんだ
今日ではないんだけど、私は、彼女に このやればできるの音程 どういう言い方かみたく 教えてと頼んで。 やさしく教えてもらって。 そのときに聞いた アドバイス。マイナスとプラスの あのお話というか やっぱ大きな方だと思う。 いつも 気軽に素敵な笑顔で話しかけてくれたり 挨拶してくださったりするハートの持ち主は、 やっぱり 器も大きかった
試合会場にでは、テクニックを追いかけてるということよりも。 なにか、なにかを 感じ取ったりするアンテナ受信 。
基本的な考え方として・・・。やっぱり 勝ってるから応援するというのではなく、 それこそ 受信は 発信していてくれなきゃ できないわけで。 だから 気迫という名前のオーラ 心折れないスタンスであったり、 できるできる何でもできるの精神であったり。 一般生徒を ひきつけるだけの ひっぱりだして留まらせるだけの エナジーがあるから。
帰りがけに 「応援ありがとうございました 」って言ってくださったけど。
そのとき 別件で。・・わたしは 結構衝撃的な事柄があり まともに返答できずに ほんとに ごめんなさい・・。
ほんとに こちらこそ エナジー ありがとうこざいます。一般人(一般生徒)を ひきつけるだけの魅力と 心の器があらわれてる部分とか。 かっこいいですー (女性にかっこいいというのが あってるかどうか わからないけど)
がんばれー。 がんばれー。 がんばれー。の心の中の音声を 「」に変換して。 心からエールをおくります。
ふぁいっ
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